『ユメミルクスリ』

買ったのは去年なんだけれど、ようやくプレイすることが出来ました。それで白木あえかルートを終えたので、ルートのストーリーだけを軽く。
いじめのお話です。ちかごろでは自殺者が被イジメ者だけでなく監督指導する教員にまで及んでいますが、人間が持つ社会性ゆえに決してなくなることのない'いじめ'現象ですが、本作はそれを題材としてはいても、そこに希望を与えるものではありませんでした。
主人公・加々見公平は、レールを走る電車のガタンゴトンという幻聴を聞く異常性を持ちながら、また優等生を演じることで周囲にとけ込もう、透明になろうとしている人間です。ただそれは周囲と距離を置くことで成していることであり、そのために公平は心の安定は欠いている。また、白木あえかはいじめられっ子で、クラスの指導的立場にある女生徒グループから日常的にイジメを受け、それに抵抗もできずに諦めきった薄ら笑いを浮かべることしかできません。公平を含むクラスメイトも、保身のため、あえかを助けようともしなかったからです。
主人公・公平はそのことに嫌悪を抱くものの、やはり保身のために手を出さずにいたのですが、あえかと知り合い、ふれ合い、あえかの表面的でない本音をぶつけてくる性質に惹かれ、やがて深い仲になるにいたって、あえかをかばう行動に出てしまいます。そして公平もイジメの対象となり、あえかと共にクラスから総スカンを食らうことになりますが、お互いを必要だと思う気持ちを頼りにイジメに立ち向かいます。しかしイジメは悪質さを増し、いざとなったら助けてくれると信じた教師も結局助けてはくれず、学校での唯一の安息の場所であった屋上に逃げ込んで、しかしそこにまでイジメグループが襲撃してきて、あえかがレイプされそうになると、ついに主人公はキレてその異常性を発揮します。グループの武器(スタンガンとナイフ)を奪い、首謀者の女生徒を人質にグループを追い出すと、女生徒をあえかと共に殺しにかかる。
そういう物語でした。その後二人は学校を辞め、家族に支えられることで安息を得るのですが、結論としてイジメを解消することは出来ず、主人公たちもその異常性によって救われるので、問題の解決を得た、という快感がありません。イジメの根深さを改めて思い知りました。フィクションでさえ、合理的解決が出来ないのですから。
もっとも本作はエンターテインメントとして創作されたのであろうし、ところどころに教訓めいたセリフも差し挟まれるものの、イジメ問題にとどめを刺すことよりもそれを使って、キャラクターと設定の物語的昇華を果たすことの方が重要だとみるべきでしょう。その点に関してあえかルートは、あえかの変容や公平が覚悟にいたるまでが、焦らされるがごとくにジワリジワリと進行するので、その度に状況がどう転ぶのか、どきどきして見守ってしまう……このやり方は上手いと思いました。公平とあえかの交際が皆にバレるシーン、公平へのイジメ行為に我慢出来なくなったあえかが京香を殴るシーンは、解決の糸口になるのか悪化の一途を辿るのか、次の展開が非常に楽しみになった一幕です。そういう期待感があるぶん、ラストの自主退学というオチは問題の放棄とも取れて、すっきりしないのですが。
かといって、京香の失神、失禁、脱糞写真をネタにクラス復帰した公平とあえかが、みんなと仲良く過ごしました……などという未来に納得出来るはずもなく、安易なハッピーエンドにすがらなかったのは良かったと思いますが、理想的なエンディングには届かなかったように思います。公平の電車の幻聴にしても、不安定な精神の象徴として描かれるのみで、物語的解決に寄与しなかったのは、ことあるごとに公平の特殊性として表れているだけに肩透かしになってしまっています。物語として破綻する可能性もあるでしょうが、あえかと共に、もう一段階人格を崩壊させても良かったのではないかと思います。例えば『CROSS†CHANNEL』のように。

さて、本筋に関してだらだら書いて来たので、後は軽くキャラやエッチシーンについて。
キャラに関しては、イチイチ大仰なリアクションを返してくれた'加々見綾'が秀逸でした。べたべたに甘えてこず、慕っているくせに、兄の行動や考えに納得出来ないで冷たく接するという、ツンデレ妹を良く表現していました。怒るにしても冷たくするにしても喜ぶにしても、あざとさがなく、「関係良好な妹がいたらこんな感じかもな」と思わせる可愛さが良かったです。仰け反るCGの愛らしさにやられた、とも言いますが。
エッチシーンはあっさりな描写で、話のテンポを崩すほど長くはないので、好感が持てました。絵柄が肉感的でないのもあって、オナニーに使うのは個人的趣向とは合いませんが。ただ、シーンが物語の要所で使われないために、物語の神話的昇華が発生しなくなっているのは賛否が分かれるように思います。取り扱っている題材が現実的な問題であるだけに、セックスによる神話的昇華に抵抗を感じるのも事実で、結末の自主退学と同じく、妥当な選択であったとは思います。

以上、確かに面白く、良い出来の作品であったのは間違いありませんが、しかしそれだけに妥当や妥協が見える部分もあり、突き抜けられなかった惜しい作品でもあります。すでにロットアップしている作品ですので、入手は多少難しいかもしれませんが、田中ロミオが好んで使うメタギャグに嫌悪がなければ、きっと楽しめると思います。
ただし、主人公とあえかは共に異常性を秘めた存在だったから助かりましたが、もしもそうでなかったら……なんて考える方にはオススメいたしません。本作は、決して希望を与えてくれるものではありませんので。

ここからは少し作品から離れて

自分個人の話になりますが、他人との差異によって優劣を図ろうとする行為には、やはり自分は嫌悪を感じます。「イジメは悪である」という認識もありはしますが、相対的にしか自己を認識出来ない人間の限界、を思い知らされるからです。そして、イジメは「相対的な自己認識」の最たるものだと思うからです。……そう思うのは自分が軽いながらもイジメを受けたことがあるせいかもしれませんが。個体として完全に独立した系でないがために、人間は他者との関係を築かねばならず、関係を必要とするがために関係に従属してしまう。他者との関係こそが全てになってしまう。これが悲しいことなのかどうかはわかりませんが、自分には悔しいことに思えてしまいます。

ヒトがヒトを脱却するのは、人間のままでは、やはり不可能なのでしょうか。