ケータイ小説って、下手でしょ。実際。

ケータイ小説を「ヒドい」と言っている携帯小説サイト管理人は誰なのか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)


「面白い」「つまらない」で言っても、「つまらない」。

作者の語彙が乏しいために同じ表現が繰り返し出てきたりなど、情景が広がっていかない。元記事にあるように、別作品でもシチュエーションが共通であるため、同ジャンルを追っていく醍醐味もない。

挙げた事例が少ないのが申し訳ないが、作品単体としても、ジャンルとしても、小説読みとしては読み続ける面白みがない、と実感としてある。
という、ケータイ小説の「小説としての酷さ」とは別に、愛・蔵太氏が、元記事の報道としての曖昧さから記事読者への意識操作、を指摘するのも、理解できる。ケータイ小説の内容から風俗の乱れを危惧するのも、本論と無関係な結論で、いかがわしさを感じるのも致し方ない。

 まぁ、「ケータイ小説にくわしい某文芸評論家」とか「関係者」とかいう形の匿名だったら、そういう作りこみの記事もアリかな、とは思うのですが、「管理人」ということだと、ものすごく気になったことは確かです。

 そんな管理人は、ちょっとぼくの想像を越えているので(ブログサービスを提供している会社の社長が「どのブログもひどい」とか言ったりするのと同じぐらい想像を超えている)、記事全体が捏造にしか思えなくなってくる。

というのはナイーブだと思うが。(売れるならば品質は二の次、という考えの企業があることは、不二家の期限切れ材料使用問題やミートホープによる牛肉ミンチの品質表示偽装事件からも、分かる)

愛・蔵太氏は、深読みした点は書かずに元記事の不備な点のみ、を書けば良かったかと思う。
ケータイ小説が売れているという事象は注目に値するし、ケータイ小説に実感以上に否定的になることもないので、現代風俗のひとつとして観察していくのが良い。


'ケータイ小説'は、あくまで'ケータイ小説'であって'小説'ではない、とは声高に主張するけれども。