「作品における設定は「点」、ストーリーは「線」という考え方」についてひと言ー


設定とストーリーは"="で結びつけられるものだろ。常考。分けて考えることが無意味。設定はエピソードを生み出し、エピソードの羅列がストーリーとなる。逆もまたしかり。もし設定がエピソードを生まないのであれば、それは設定ではなく、"フレーバー"とでも言うべきものだ。作品の雰囲気を出したりするのな。極まったハイファンタジーとかになるとフレーバーだけでも作品になっちゃうんだけど。

設定とストーリーの話に戻る。
点と線という語りに乗るならば、すなわち、"どのように点を打っていくことで、線にしていくか"が難しい、ということになる。
すなわち、構成だ。設定を思いついても、それがストーリーにならない、のは、この構成が足りていないからである。


たとえ話をしよう。


……と思ったけど、織田信長の伝記を再構成するという作業が膨大すぎたので、やめた(マテ。つまり、ある人物の人生を語るだけでも、時系列順に出来事を並べるのと、出来事の因果関係を鑑みたうえで入れ替えたのとでは、見え方が異なるという話をしたかったんです。

はい、新しい単語が出てきましたね。"因果関係"です。これ重要ですよ。テストに出ますからね。覚えておきましょうね。色でいえば、補色とか近似色とか、デザイン系の知識がないのでなんともですが、そゆ関係色のことだよ。まったく異なる色の点を連続しても、気色の悪いパターンにしかならないけど、近似色を繋げればグラデーションになったりするとか、そんな感じの話ですよ。因果関係が成立していないと、「超展開」とか「ワールド展開」とか「ご都合主義」とか言われちゃいますからー。

閑話休題

この構成という奴が、はなはだ厄介な奴であるのはまったく同意するところであるが、それは面白い物を作るのが大変なだけであって、設定からストーリーを生むことは簡単である。設定からは自然発生的にエピソードが生まれてくるのだから。


ま、おそらくは。


ある設定に対し、それに関連する設定を用意しないせいだと思うんだけど。

例えば。

テストで常に学年一番の男子生徒、というだけではストーリーを作りづらいけど。
常に彼の後塵を拝している女子生徒がいて、彼女は勝ち気な性格だ、という設定を追加すれば、エピソードなんて雨後の竹の子のように出てくる、みたいな。




ケータイ小説の件ですが、恋空を読むまでまってくださいorz 近いうちに図書館行ってきます。