エロゲの魅力

(元)作り手の視点から見るエロゲの魅力

エントリの主な話題がエロゲであることからもわかりますが、俺はエロゲが大好きです。およそ人生の半分をエロゲと付き合ってきました。だからこそ、リンク先の意見には共感できるところもあり、また共感できないこともあります。

俺が若かりし頃、エロゲはまだコンプティークの袋とじで紹介されるものであり、アングラでした。『同級生』やその続編のヒットあたりから状況が変わった印象もありますが、それでもパソコン自体が高価であり、本格的にエロゲが誰の目にも触れるようになった(?)のは、Windows98の登場を待たねばなりません。

という話ではなくて。PC9801時代の末期、エロゲ界は非常にカオスでした。ADV、ノベル、RPGSLG、麻雀などのテーブルゲームはもちろん、ACTやSTGのエロゲだってありました。キャラクターも多彩で(今ほどロリは多くなかったけど)、でも主流は妖艶な美女と可愛らしいヒロインという構図だった気がします。あんま覚えてない。まさに「可愛い女の子がいればいい。エッチがあればなんでもいい」状態で、性欲が人間の原動力であると信じてしまいそうなパワーがありました。

それも今は昔。市場の変化があったのでしょうか。

ユーザーは自分が求める物以外は買いません。自分好みのキャラクターがいないタイトルは、見向きもされません。予算をペイするためには、ターゲットとなるユーザー層を選定し、そこにフォーカスしたキャラクターを用意しなければちっとも売れないのです。

「可愛い女の子さえいれば」ということは、つまり「(ターゲットとなる)ユーザー好みの女の子さえいれば」という意味ですから、本質的には何も変わっていないはずなのですが、なぜでしょうか。今はそこに自由さを感じないです。

むしろ今は、「可愛い女の子さえいれば」ではなく、「可愛い女の子がいなければならない」という制約に感じます。ポルノ商品ですから、AVだって女優が気に入らなければ買いませんので当然といえば当然なのですが、ADV以外のジャンルに手を出すのはとても勇気がいるし、メッセージフレーム形式以外のADVだって恐ろしいです。ユーザーがテキストを読み落とす可能性がある複雑な分岐構造なんてとてもとても

エロゲの全ては「女の子を可愛く見せるために」あるのであって、「可愛い女の子は免罪符」ではなくなっています。"エロゲにエロは必要か?"などという議論がなされるくらいなのですから。

だったらいっそ、女の子が可愛くなくたっていいじゃん!!!

とか思っちゃいますが閑話休題。エロゲにおいて、「女の子の可愛さ」はもやは至上命題となっています。そこに付随してテーマを描いたタイトルも多いですが、結局"キャラクターとストーリー"という方向性を逸脱できていません。ゲーム的なリソース管理やスケジューリングなどの要素は排除され、選択肢さえ「気に入った女の子とのエッチ」を邪魔する鍵的な要素を奪われました。どのエロゲもプレイ時には「この選択肢だとこの子のルートに入るんだろうなー」的なことしか考えることがありません。研究目的な分析はさておきますが。

メーカー的には色々な(主に予算的な)理由がありますが、作る側に自由なんてないからです。ユーザーの嗜好には応えたうえで、他社との差別化を図らなければならない。少なくとも売れるためには。もし今でも自由があるというのなら、他のメディアに比べてエロス&バイオレンスがやりやすく(当たり前ですが)、ゲーム要素がなくても問題なく、選択できるテーマの幅が比較的広い、くらいしか思いつきません。エロや残虐表現ができない事を除けば、地上波アニメの方が予算も潤沢だし色々な挑戦ができるんじゃないですか。

ゲームはインタラクティブメディア?

そんなの、エロゲでは幻想ですよ。どう考えたって、作り手から受け手への一方通行です。


ちなみに俺は、ゲームも大好きですが、エロも大好物です。エロがなくなったらエロゲは買いません。エロゲのコンシューマ移植なんか興味のカケラもありませんもの。奴らが脱ぐ、とわかっているからそそられるんです。